河鍋暁斎

河鍋暁斎(かわなべ きょうさい 1731-89)は、
幕末から明治にかけて活躍した絵師です。
海外では一に北斎、二に暁斎と言われるほど
非常に人気があるのだそうです。
暁斎の絵はユーモアとウィット、そして痛烈な風刺に富んでいて
大変ユニークで、私の大好きな画家の一人です。
ちなみに鹿鳴館などを作った建築家のコンドルは、
暁斎の元で日本画を学び、暁英という名で絵を描いています。


ちょうどこの本がお店に入ってきたので読みました↓

河鍋暁斎戯画集 (岩波文庫)

河鍋暁斎戯画集 (岩波文庫)


上記の本に載っていた中で、私のお気に入り↓ 

文明開化に遅れまいとして、長〜い頭にシルクハットをかぶろうと
苦心惨憺の福禄寿(七福神の一人)が描かれています。
ユーモラスで楽しいですね(^〜^)


と、本を楽しんで読んでいたところ、
暁斎の本なら、明治期の本物がうちにあるよ(−ω−)」
と言いながら、くまきちが棚から何やら1冊の本を
持ってくるではありませんか! ��(゜▽゜)

タイトルは「暁斎鈍画」
奥付を開いてみると、明治14年4月発行!
まあ〜〜〜、こんな本が棚からひょいっと出てくるなんて、
古本屋さんってなんて素敵なの!! (≧▽≦ノノ゙☆


↓中の一部をご紹介

動物の妖怪達でしょうか、楽しいですねえ(´▽`)


   ☆  ☆  ☆
一番上の岩波文庫によれば、暁斎は、
●一般に狩野派は他流の研究を禁じていたのだが、
 暁斎の研究領域は狩野派巨匠達から漢画、水墨画大和絵、円山、
 四条、南画、琳派、浮世絵諸派、唐以来の中国名画まで
 非常に広範囲に及んでいた。
●西洋の人体解剖図によって、骨格の構造と筋肉隆起の相関を学んだ。


そして一番興味深かったのが、
●「自分は西洋の画家のようにカラスを見ながら写生することはない。
  描こうとするカラスの姿勢を凝視し、それを脳裏に焼き付けてから
  別室で写す。記憶が消えたら筆を置き、再びカラスを観察し
  脳裏に刻んで別室で描く。
  何百冊もの画帖でこの訓練を積み上げた結果、
  ようやく自由に筆を使う技術をおぼえ、
  また記憶力の訓練によりどんなものでも一目見ただけで
  写生ができるようになったのです。」

なるほど・・・・暁斎が描くいきいきとした戯画の影には
こんな技術や努力があったのだと感嘆してしまいました。


暁斎は海外での評価の方が高かったので、
相当量の絵が日本ではなく海外に存在します。
だからこそ大震災も第二次大戦の空襲も免れ、
今日なおその全貌を知ることができるのだという
大変ありがたい側面もあるのですが、
日本人の絵が日本ではあまり評価されずに
どんどん海外に渡ってしまったという図式は、
なんとも複雑な気持ちがいたします。
当時国内では、浮世絵は今の雑誌や新聞紙と同じ感覚で、
平気で茶碗を包む紙に使われたり
ふすまに貼られたりと使い捨てにされていたそうですから・・・・
外国の方達が助け出さなかったら、
浮世絵なんてほとんど残っていなかったかもしれませんね(;´〜`)


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