「篤姫の生涯」


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今日は草加市越谷市(埼玉県)、それから豊島区(東京都)で出張買取でした、
どうもありがとうございました!
今日はなんだか買取のお問い合わせの電話も多かったです、
ありがたいことですねえ(´▽`)
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こちらを読みました。

篤姫の生涯

篤姫の生涯

篤姫の生涯」宮尾登美子日本放送出版協会
新刊屋さんでやけに篤姫に関する本が平積みになってるなあと思ったら、
大河ドラマが「篤姫」なのね!
私は東京出身ですが母が鹿児島人でして、薩摩の地に愛着がございます。
そんなわけで薩摩出身の篤姫にも興味を持っていたので
大河ドラマのおかげで注目を集めているようで何だか嬉しい限りです(^^)


天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ/1835−1883)は、
あの江戸城大奥の最後の女あるじであった人です。
薩摩に生まれ、名君・島津斉彬の養女となり、
そして21歳の時に政略結婚で13代将軍・徳川家定の妻になり
江戸城大奥に入りました。
その後時代の大きな渦に巻かれ、波乱万丈の人生を過ごすことになります。
まず夫である家定が、結婚後わずか1年半で亡くなってしまうのです。
ところが大奥では、将軍の妻は生涯大奥に留まって夫を弔わなければならないという
決まりがあるため、薩摩に帰ることも許されませんでした。
篤姫は武士の娘として覚悟を決め、以後徳川家の人間として力強く生きていきます
(この辺の強さがほんとかっこいいです!)。


また、14代将軍・家茂の妻として皇室から降嫁してきた皇女和宮との
嫁姑の確執も有名です。
篤姫和宮も、政略結婚で将軍家に嫁がされたという似たような境遇でしたが、
篤姫が徳川家のために全力を尽くそうとしっかりと腹を据えたのに対し、
和宮天皇の妹というプライドを崩すことなく
大奥に入ってからも京のやり方で生活することを頑として譲らなかったため、
大奥内に軋轢が生じたのだそうです。
面白いことに、この本によると
京都の人は今でも「天璋院和宮をいじめた」と言い、
江戸っ子の人は今でも「天璋院ほど立派な方はおらず、
和宮のほうが夫に尽くそうともせぬ薄情な人だった」と言うのだそうです。
でも歴史って、本当のところ何が正しいのかってわかりませんよね(´−`)
このように、どちら側に立つかで評価が180度違ったりすることはよくあることですし、
勝者に都合のいいように歴史が変えられたりしてしまうわけですから・・・。

篤姫 肖像画



和宮 肖像写真


そして時代は開国へ、そして薩長軍による江戸城総攻撃へと激しく突き進みます。
こともあろうに篤姫の実家である薩摩が自分達を攻めてきたわけです、
この時の篤姫の心境はいかばかりであったでしょうか・・・。
そしてさらに、江戸城攻撃の軍の総督は
和宮のかつての婚約者である有栖川宮でありました、なんという運命の皮肉!
そして無血開城が成され、江戸城から追いやられた篤姫
東京の千駄ヶ谷で慎ましい生活を送ります。
その間薩摩の島津家からの使者や、西郷隆盛が直々にやってきて
金銭的な援助を申し出たそうなのですが、
「わが身が徳川家にある以上は、いかに不自由いたそうと
 当家のまかないのみにて十分である。お断り申し上げる。」

ときっぱりとはねのけたのだそうです、これぞ武士の矜持ですね。
結局、徳川に嫁ぐために薩摩を離れてから2度と故郷の土を踏むことなく、
48歳でその生涯を終えたということです。


わかりやすくて面白い本でした、篤姫の入門編としてちょうどいい本だと思います。
大奥の特殊な世界ぶりも書かれていて興味深かったです (;゜д゜)ウヒョー


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