ロシアの巨人・シャリアピン

こちらの本を読みました。

お耳ざわりですか

お耳ざわりですか


著名な伴奏ピアニストであったジェラルド・ムーア氏の自伝です。
この本の中に、氏が共演した数々の素晴らしい演奏家達のことが
取り上げられているのですが、
中でも私が興味を持って読んだのは
ロシアが生んだ伝説のバス歌手、シャリアピンについてでした。




フョードル・イワノヴィッチ・シャリアピン1873年−1938年)は
その体躯、個性、迫力、声量、カリスマ的な人気、
そのすべてにおいて正に巨人と言えるスケールの大きなバス歌手です。
ちなみに「シャリアピン・ステーキ」の名前は
この人から来ています。
来日公演の際に宿泊先だった帝国ホテルのコックさんが、
歯の悪いシャリアピンのために
ステーキ肉を玉ねぎに漬け込んで柔らかくして焼き上げるという
このステーキを考案し、大変気に入られたのだそうです(^^)




さて、上記のムーア氏の本から
シャリアピンについて書かれている所を少し抜粋してみましょう。

オペラでは何度も彼を見てきたが、
(本番中でも)自分のテンポと合わないと指揮者を睨みつけ、
自らの手で拍子をとり、
オーケストラを指揮したこともたびたびあった。
ピアノ伴奏によるリサイタルでの彼の振る舞いは、
さらにひどかった。
ロイヤル・アルバート・ホールでの演奏会の時など、
ピアノを手で叩いて拍子をとるだけでは満足できず、
ついには歌の途中でピアニストの方に大またで歩いて行き、
肩を叩いて拍子をとった。

巨人は大変わがままな人だったそうで、
この人の伴奏を頼まれたとき
ムーア氏は恐怖感でいっぱいだったそうです(^▽^;)




またシャリアピンは、独特のコンサートのやり方をすることで
知られていました。
「前もって決められた曲目を歌うのは不自然だ」というのが彼の持論で、
シャリアピンの演奏会ではプログラムの代わりに
たくさんの曲目が番号順に載った小冊子が売られ、
シャリアピンが歌う前に「次は××番!」と大声で言い、
その場その場の気分次第で曲目が決められたのだそうです。
本人は思いつくままに歌えて良いでしょうが、
伴奏する人はかなり大変・・・というか大迷惑です(´∀`;)。

シャリアピンのマネージャーに、練習をしたいので
彼の楽譜を手に入れてくれるように頼んだ。
一晩の音楽会のためなら、歌曲とアリアで、
せいぜい20〜30曲くらい準備しておけば充分だと思っていたが、
届けられたのは何と旅行用トランクいっぱいの
200曲もの楽譜であった。
これらの曲を全部練習するのは、途方もない大仕事であった。

そして結局、ムーア氏が汗水流して練習した曲の85%は
ついに一度も演奏されることなく終わったのだそうです(^▽^;)




私がシャリアピンの録音を初めて聴いたのは中学生の時でした。
ドン・ジョヴァンニ」のレポレロの”カタログの歌”で、
そのものすごい歌い崩しっぷりに唖然としたものです。
箇所によっては完全にセリフ調になってしまっていて、
これではモーツァルトの書いた音符が全く意味をなさないじゃないか!と
当時の私は憤然としてしまったのを憶えています。
けれども大人になってから聴き返してみると、
スピーカーから伝わってくるそのスケールの大きな歌と演技のすごさに
圧倒され、息を飲んで聴き入ってしまいました。
例えば極めつけと言われた「ボリス・ゴドゥノフ」のタイトル・ロール。
息遣いまでが錯乱する王そのもので、舞台をのっしのっしと歩き回る姿が
目に見えてくるようで鳥肌が立ちました。
そして絶望や凍てつく寒さを感じさせる曲から明るく闊達な曲まで、
自由自在に歌うロシア民謡
シャリアピンの自由に歌い崩す歌い方は、
音符に忠実に歌うことを要求される現代では
絶対に許されない歌い方ですが、それゆえ、
何の制約もなく思いのまま自由に歌い演じる姿に
あこがれてしまうのかもしれません。
ちなみにシャリアピンはロシアの貧民の生まれで、
幼少の頃は飲んだくれの父親に毎日殴られ、
劣悪な環境の中で育ったといいます。
真に偉大なる芸術家は、どんな環境の元に生まれても
たゆまぬ努力と意志によって
必ずのしあがってくることができるのだと・・・
そう信じてやみません。


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