明治の美男美女・第2弾


先日書きました「明治美人コンテスト」の回(2003.3.1.参照)
やけに好評だったので(゜∀゜;)
第2弾をお送りすることにいたします。
題して、


「明治時代の美男美女〜旧皇族編」


今回の出典元はこちらの本です ↓

皇族・華族古写真帖 愛蔵版

皇族・華族古写真帖 愛蔵版


まずご登場いただきますのは、山階宮家のお妃、
常子(ひさこ)様(1874〜1938)です。
薩摩藩主、公爵・島津忠義の3女として生まれました。
こちらの写真は明治35年、山階菊麿王との婚儀の際のもので、
おすべらかしに五衣、唐衣装の正装で桧扇を持っているのだそうです。


こちらは洋風スタイルの常子妃(明治35年ごろ)。
前髪を短くした髪型は、当時ヨーロッパで一時的に流行したそうです。
アール・ヌーヴォースタイルドレスと書かれています。
こういうの、ぜひ着てみたいです(´〜`)




さて、もう1人の美女にご登場いただきましょう。
梨本宮家のお妃、伊都子様(1882〜1976)です。
佐賀藩主、公爵・鍋島直大(なおひろ)の2女ととして生まれました。
嫁いでからは皇室外交の華として活躍しましたが、
愛娘を政略結婚の道具にされたり
戦後は夫を戦犯にされるなど、
その生涯は波乱に満ちていたそうです。
この写真は17歳の頃。和装姿がすでに気品に溢れていて美しいです。


こちらは明治37年の写真で、日露戦争が開戦した年です。
胸に日本赤十字徽章を付けています。
伊都子妃は日本赤十字社に参加し、積極的に活動なさったのだそうです。




さて最後は、にゃん子が本をめくっていて
思わず「うおっ!��(゜д゜;)」と手が止まってしまった
美しい少年の写真をご紹介します。
このかたは北白川宮家の成久王(1887〜1923)。
9歳で宮家を継ぎ、陸軍に入り、陸軍砲兵大佐となりましたが、
大正12年に留学先のパリで交通事故に逢い若くして亡くなりました。
この写真は小川一真によって撮影されました、
まるで女性のように美しいですね(゜−゜;)



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